白虎隊の映画を見ると泣けてきます。
十代の少年兵が薩摩・長州の“自称”官軍と戦い、飯も食わず、水も飲まず、殆んど戦果も上げず飯盛山で自決をしてしてしまったから。・・・・ ではありませんよ。
なんと早とちりの“あわてん坊”だったと思うからです。
戦いに疲れ、山中を彷徨い、飯も食わず、味方の兵にも会えず。 飯盛山に辿り着き、山頂から鶴ケ城を遠望すると、鶴ケ城が煙に包まれ炎上しているように見え、もう駄目だと自決を選択したのですが、鶴ケ城はまだ落城せず、会津藩はその後2日間も戦い続けたのです。
飯盛山山頂の少年兵20名は自決や相対死をとげたのですが、なんで、死んでしまったのかそれが残念で悲しいのです。 生き残って幸せな人生を送らせたかったと思うからです。
「そんなこと武士の世界では無理だよ」なんて言わないでください。
自決した20人の内の一人が奇跡的に救出され、2日後に蘇生し、その後、家庭を持ち、子宝にも恵まれ、明治を生きたのです。 あと2日生きていさえすれば少年兵の20人全員が救出された筈です。 救出されれば20人のそれぞれが、それぞれの明治時代を生きた筈です。
でも、救出された少年兵は歴史の舞台から抹消され、飯盛山で自決した“忠義者”は19人となり、飯盛山山頂の石碑には名前も刻まれていません。・・・・・そんなのおかしいよ!と思ったから、19人の石碑の脇に抹消された少年兵の名前を書いたお塔婆を建に行こうと思っています。 だって歴史の証人で、彼が生き残ったからこそ白虎隊の真実が解ったのですから。
私の考えに賛同する方。 ご一緒しませんか?